COLLABORATION Vol.2 errortrap
「errortrap」という展覧会タイトルが示唆するのは、外界の世界に順応する視覚をブレさせる様な要素を孕む、三人の作家の作品そのものだろうか。常日頃「みえる」という現象に慣れた私たちは、「みる」という現象に対し時に敏感となる。この展覧会もまた、そのみえる‐みるの距離を鑑賞者に提示したものだったといえるかもしれない。
会場の三つの壁には、映像と絵画が展示されている。鮮やかな色づかいによるペインティング≪patterns≫は、今井俊介の作品だ。複数のトレースされたイメージがレイヤー状に重なり合い、一つの画面を構成している。塗りつぶされたイメージは、それ一つでは時間も場も存在せず、視覚的言語のみの言及に止まるものでしかない。しかしそれらのイメージがシステマティックに重なり合い、層が厚くなる程に画面は奥行きを増していく。幾多のイメージが交錯し合う中でリズムが生まれ、複数のイメージを畳みかける様に外へと押し出す。鑑賞者の視点は定まらず、思考は具象と抽象の境界を浮遊し、相対する関係性の中で鑑賞者と作品の対話が展開される。一方、アクリルと岩絵具を用い、山や家、街並み等実在の景色を描き出したのは稲垣遊の作品だ。この写真の様に綿密に描かれた薄暗い風景の中には、画面手前に違和感を覚える程に黒く塗られた木が存在する。鑑賞者はその異質な存在に対し思考を巡らせど、そこに描かれたのは黒く塗られた「木」でしかなく、予期せぬ何かを揶揄するものでもない。本来ならば葉が繁り、しなやかな幹が描きこまれるべき部分に覆いかぶさる黒い影という存在が、これが「絵画」であることを改めて鑑賞者に提示し、画面の光の指す場所(家屋や後景の飛行場)を誇張し出す。そして、会場に敷き詰められた白い砂利の上には、地と垂直に伸びる真っ白なサーフボードが台の上に配置されている。作者である上村卓大は、サーフボードの様な既製品を基に、緻密な型の模倣による制作を行う中で、否応なしに作品と既製品との隔たりを縮めていく。そこには、製品としての機能を放棄させサーフボードの「ような」美術作品へと昇華させる作家の計略があり、「ハイ」と「ロー」のアートとの相克を乗り越える試みがなされている様に考えられる。
三人の作家が提示する三つの「errortrap」が、鑑賞者のみるという行為をあらゆる角度から探りだすものだとすれば、その視覚と思考のブレを追求する行為に身を委ねるのが鑑賞の作法といえるのではないか。この空間において、単に表面的なものとしての識別可能な輪郭を呈示するのみではなく、M.ハイデッガーが「それ自体の内に立つこと」と特徴づけたような自律性と内的深さを探る鑑賞者の自発的行為が展示には図られている。