COLLABORATION Vol.1 感覚の精度

 「2-305!!ムサビ助手展」第1週は、「感覚の精度」というプログラム名のもと、森田奏美(油絵学科版画研究室助手)・為壮真吾(日本画学科研究室助手)・豊泉綾乃(油絵学科版画研究室助手)による展示が行われた。キュレーションとして、森啓輔(芸術文化学科研究室助手)が参加している。
 森田奏美のリトグラフ作品《風の声を聴く》《午後の水面》が示すのは、自然風景のイメージである。不透明なシルエットで表現された梢や草叢を前景として、背後には透明な樹木や抽象的な形象が重なり合い、多重露光のような様相を呈している。拡大された前景の構図は、それが個人的視点からの光景であることを示唆しているが、具体的な主体の特定は留保されている。為壮真吾の《Litmus》は、カラーフィールド・ペインティングを想起させるが、そこで使用されているのは麻紙・岩絵具・膠といった、日本画の支持体や描画材である。その表面に定着される染料の滲みや色彩の濃淡、幾重もの色面の重なりは、画家個人の身体経験の痕跡であり、私秘的な〈場〉の現われである。豊泉綾乃の水彩画《日常(食事-@)》《日常(座る)》は、日常の私的行為に題材を求めているが、人物の顔はうつむき、あるいは切り取られて匿名化=一般化されている。また、作家自身初の試みであるという、人物の輪郭に沿って手でちぎり、背景を消滅させる手法により、人物はプライバシーを剥奪される。
 宮川淳は、セザンヌの近代的造形意識を「〈感覚(サンサシオン)〉と〈実現(レアリザシオン)〉の葛藤」と形容し、自己の感覚の実現を志したセザンヌに新しいタブロー意識の成立を見た。本展の作品はいずれも、固有の内的感覚を示唆しているといえる。だが他方で、森田の版画に表象される共有可能な普遍的原風景や、為壮の絵画の上部の余白と壁面との連続性、豊泉の描く人物の空間への直接的現前といった、外界あるいは他者への連接的要素がある。そこにおいて自己規定のフレームを裂開することにより、作品は同語反復的な即自状態を脱し、ナルシシズムという袋小路に陥るのを免れている。彼らの作品が孕む、非-私的領域と切断されると同時に接合されるという二重性は、床一面に砂利を敷き詰めることで、内/外の境界を攪乱する前崎紀人(建築学科研究室助手)の空間構成とも交差しながら、内的経験を開示するのである。

勝俣涼(芸術文化学科3年)