5つの質問>佐藤哲至助手

視覚伝達デザイン研究室
 佐藤哲至助手

5つの質問に対する5つの回答

あなたは何を作っていますか?(どんな研究をしていますか?)

「イメージとは何か」特に「映像とは何か」という大きな問題設定があって、その中でとりうる可能性の中から仮説を立て、物理的、認知的事象に再解釈し、抽出された事象の関係性について考え、設問の範囲においてどのような意味をなすかを検討し、物理的制約、技術的障害、実現可能性について考え、配置し、状況を構築するというとても面倒な物をつくっています。それらの関係性の中に詩的な瞬間を見いだす事が最終的な目標です。

なぜ今回の作品を制作しましたか?(なぜこの研究をしようと考えましたか?)

大量の映像が日々つくられ消費されながら、それでもなお「映像とは何か」という問題は理解された試しがないという実感があります。例えば「スローモーションのような動き」というのは映像が生み出した感覚で、新しいイメージです。こういったぼんやりとした映像とイメージの諸原理を検証するために、映像の解釈をあれこれ操作しています。特に今回の作品は空間を映像化する方法を考えるアプローチから始まった実験なのです。

今回の作品のおすすめ、こだわり、一番大切な部分、はどこですか?

プロセスを全部見せたいという事でしょうか。コンピューターの中で論理的な演算を していた映像が、機械によって空間上の運動に変換されていく過程で、果たしてその 空間は映像なのかという疑問があって、変換していった先が別の物になってしまうか、 そうではないのか、未定義な領域ができるんだと思います。そのような領域をどう解 釈するのかには興味があります。表層的にはデジタルかアナログかといった問題も内 包しています。

あなたが影響をうけた作家(人物、もの、場所なんでもいいかと)はだれですか?又その理由を教えてください。

ワンダーフォーゲル部/山に入ってみる景色、造形は人智を超えていると思います。 自然とか生命とかはすでに美しくて完璧なんです。 藤幡正樹/大学院でお世話になりました。「作品には意味がある」という当たり前です が忘れがちな事を教えてもらったという気がしています。 DIETER KIESSLING/メディアのグロテスクな部分を最小限の要素で取り出すという行為 が、僕にとって非常に魅力的です。

他の助手に一つ質問するとしたら、だれにどんなことを聞いてみたいですか?

彫刻研究室:冨井大裕助手への質問
これは彫刻であって、これは彫刻ではないという「これは彫刻であると見なす行為」の拡張はどこまで可能かについてお聞きしたいで す。というのも前回blankという作品の話をしたときに、あれは彫刻だよねという話 がでて、僕はとても嬉しかった(というのも僕もとても何となく彫刻的だと思っている から)なんですが、あの時の感覚が何だったのかについてもっと詳しく聞きたいと思います。

回答:彫刻であるとみなす行為(=判断)の拡張は何処までも可能だと考えています。 まず、僕はいわゆる手のこんだ労働によって作られたもの=彫刻とはみなしていません。 このような自明のことをこの質問に乗じてわざわざ言うのは、この問答の舞台となっ ている美術大学には(随分と払拭されたとはいえ)、いまだ労働の量と作品の質は比例 するという愚かな幻想が潜伏していると感じているからです。 作品であること(彫刻であること)を保証し、なおかつその質を保証するものとは、 何かを創造するため(その発端の差異の問題については本文では省略する)に考えられ る可能性を、考慮し尽くした末に導かれる妥当な労力と配慮の顕現に他なりません。 ここにおいては過酷な労働も、何気ない所作も、「これ以外に仕方のない方法」として等しく扱われます。適当なものが適所にあるべくして置かれること。これが、僕にとっての理想的な作品であり、彫刻とは理想的な作品に近づく為に僕が選択したひとつの方法です。 佐藤さんの作品を僕が彫刻といったのは、その佇まいがそのとき上手くいっていた、 自立していた状態だったからだと思います。人は、上手くいっているものに対しては、 疑問も持たずに勝手に自分の立場で判断し、納得してしまうものです。 良いものってどうしても良いものなんですよ! 佐藤さんの作品に僕はその片鱗をみたのでしょう。きっと。