鈴木泰裕助手(共通絵画研究室)インタビュー
聞き手:峰見勝蔵教授(共通絵画)
峰:鈴木さんの作品、写真を使う写真というものを、写真とわからせるように使いたい、みたいなとこなんかね?これは私らの世代的なものなんかもあると思うんですけど、やっぱり違いはありますよね。だいぶ違うからね。親子くらい違う。私は、鈴木さんの絵を見たときに、アメリカのポップアートがぱっと頭に浮かんだ。そしたら知らないって言うんだからね(笑)。
鈴:知らなくはないですよ(笑)。ただ、ポップアートを意識しているということはないです。
峰:私らの世代は、ポップアートっていうのはものすごく強烈。一番最初、東京に出てきて衝撃を受けたのはポップアートだったからね。田舎から東京に出てきて大学に入って、2年くらいの時でしたかね、国立近代美術館で「アメリカ現代美術展」いうのをやってたんだけど、抽象表現主義じゃなくてポップアートだった。大きくってね。今まで見たことがない大きさですよ、アメリカの絵というのは。戦後日本で、はじめて本格的に現物がきて大々的に展示された。私らが教育を受けた頃の近代的なヌードの表現なんかでも、肉体的な表現じゃなくて、ペラッといくわけ。下手でペラッといくんじゃなくて、わざといくのね。わざと、広告のグラビアみたいに。そういうのを見て、「これでいいのか?」って思いましたよね。自分が勉強してきたのとは違う在り方っていうか。戦後の「大衆消費社会」ていうのか。日本でも、そういう社会的な条件がすでにあの頃発生しつつあったからね。それと同じような文明文化的な状況というのは。だから、実感の先取りみたいなもので、「ああ、なるほどなあ」いうところもあったし。それから、やっぱり映像性、情報性だよね。あれから相当時間が経って、もうアートじゃなくて日常がポップになっちゃったからね。だからもう、美術としての新しい表現というのが社会現象の中に溶解してしまった。街中全部がポップ。現実が表現を越えていく、いうところがありますからね。そういう歴史の文脈はあると思うよ、写真なんかをスッといけるいうのも。私らの学生時代、写真使う人はあんまりいなかったと思う。今はもうみんないろんなかたちで利用してますよね。
・写真をモチーフに選んだ経緯は?
鈴:何で写真なのかっていうことですよね。うーん。
峰:生身でこれやるの大変だもの。えらい厄介だろうよ、金かかるしね(笑)。
鈴:そうですね(笑)。でも、きっかけとしてはそういうことですよね。学生の頃に自分の持っているイメージを人体を使って描きたいと思って、でもモデルさんを呼んで衣装を選んでポーズしてもらって、ということが現実的にできなかった。じゃあ雑誌からイメージに近いものを持ってきて扱えばいいんじゃないかと。
峰:現実よりも写真のほうがリアリティを感じるっていうことはない?
鈴:それはないですね。描くのであれば、生身の肉体を見て描いたほうがもっといい線が引けるんじゃないかなっていうのはあります。
峰:そうか、私は違うと思ってた。写真のほうが現実よりも惹かれるいうところがあって、写真でやってるんじゃないかなって。写真のように見せることに意味がある?
鈴:実物を見て描くという作業と写真を見てそのかたちを塗っていくという作業は、意味が違うので、実物を見て描くということは「今はやらない」というふうに意図的に避けています。
峰:写真ってやっぱり平面で、平面から平面に写すのと、生身の立体から平面に写すのとでは意味が全く違いますからね。若い人の中で映像的な作品をつくる人が多いっていうのは、写真的、映像的な表現に魅力を感じている側面が強いんじゃないのかな。
鈴:写真をモチーフとして使うのであれば「写真を使っている」ということが明解な形で表現をすればいいと思うんです。写真から描いていることに意味があって、実物の代替物として使っているわけではないという。
・鈴木さんの作品を見たときに「線」にこだわってるなという印象を受けました。
鈴
:そうですね。人間の身体のアウトラインが好きです。そのいろんな意味を含む線でどんなことができるか。どうしたいのか。写真を使った場合でも、雑誌の写真を使った場合だと特に実物とは違って、輪郭っていう回り込まない、ごく薄い際を意識するというのは大事なところかなと思ってます。
interviewer
高橋奈保子(視覚伝達デザイン学科研究室助手)
黒澤誠人(美術資料図書館)