杉山優子助手(油絵学科油絵研究室)インタビュー
聞き手:久野和洋教授(油絵学科)
・先ほど「対象を見つめる」というお話が出ましたが、杉山さんは実際にその場で描いているんですか?
杉: 現場でスケッチをします。写真も使ったりしますが、現場で油絵を描くことはしていません。
・その場で感じたものと、写真に撮って見たものと、感覚は違いますか?
杉:その場だと時間の流れがあるというか。例えば風が吹いてたり、寒かったり、暑かったり。そういう、描きながら体で感じる感覚というのが全然違うところだと思うんですけど、アトリエに戻って写真で見て、図柄を頭で整理することは外では逆にできないです。
久:絵は見えたものをすべて描くっていうんじゃなくて、描きたいものだけ描くとか。人間って、全部視界に映ってても、本当に見たいものしか見えてないんだよね。その代表的なものが絵だと思うんだけど。その人が何を見てるかっていうことは絵を見ればわかっちゃう。対象のどこに関心があるかとかね。
杉:やっぱりフォーカスして見てるっていうところがあるので、外で描いていると大きく見えたものが、写真で見てみるとすごく小さく写っています。肉眼で見たものとやっぱり違うなと思って。先生がおっしゃったように、見たいものが大きく見えてくるっていうことは自分の中の重要な部分ですね。たくさん眼に入ってくる感じがします。
久:写真を使ったとしても、写真の再現じゃ面白くないんだよね。やっぱり自分が見たいものが、どういうふうに絵の中で表現されているかが問題。それが絵の面白いところだし、難しいところだね。写真って正確に写すけど、真実を伝えない場合だってあるわけだから。一番見たい部分が作品に表れてることが素晴らしいと思う。
・見たいものと描きたいものはやっぱりリンクしているんでしょうか。
杉:近いですね。
久:うん、そうだね。
杉:あと、本物を見ていて「こう見えて欲しい」っていう願望が出てくると時もあります。これはいらない、とか、数が多い、とか。
・街に出たとき「描きたい」とか「ここを絵にしたら楽しいだろうな」とか考えますか?
杉:いつもそう思ってます。
・田舎、都会っていう場所性はいかがですか?
杉:場所性というより、そこに行って、そのタイミングで出会ったものというか。偶然だけど必然的に会っているような気がするんです。常に「何かないかな」と探しながら生きているような気がしていて。都会に行ったら、道幅が狭い中で面白い人工物を探してみたり、田舎に行ったら、地平線が見えるような広い風景に会えたりするので、違いはあるんですけど常にどっちも「探す」感じですね。
・杉山さんに描かれる場所たちに共通するものはありますか?
杉:誰もが見過ごしてしまうようなものです。
・「見落とされているもの」がポイントでしょうか。
杉:そうですね。
久:関心のあるものを見ていると、対象物のほうから「私はここにいますよ」っていう声がして、そこでたまたま目線が一致するっていうかね。描きたくなることって、そういうことがあると思う。
杉:描いてやってるっていう押しつけがましい感じよりは、描かされた、とか、そんな感じです。
・描かされている…。それこそ、その場にいなくていいんですか?描くとき。
杉:うーん、難しい。
久:自分が強く惹き付けられたものが残っていないと、見なくても描けるなんていうことはない。相当強く気持ちの中に残っていると、見なくても描ける。僕なんかもそうですよ。自分の興味のあるところを見てるじゃないですか。それを絵の中で、描きながら、感じながら。描きながらまた絵の方が教えてくれたりするしね。杉山もたぶん、こういったことをちらちらと感じることがあるかもしれないね。
杉:近かったらまた見に行くこともありますけど、出会ってすぐに絵が描けるっていうわけでもなくて。気になって、引っかかってて、あっためておいて、やっと自分の中で消化して絵を描くことができます。
久:一目惚れみたいなときはどうするの?僕はふた通りあると思うの。見た瞬間「出会ってしまった」という感じと、しょっちゅう見ているんだけど何となく気になってて、ある時に「ああ、そうだったんだ」って改めて見つめちゃう感じ。
杉:そうですね。この修了制作なんかは一目惚れです。
interviewer
高橋奈保子(視覚伝達デザイン学科研究室助手)
黒澤誠人(美術資料図書館)