出品者インタビュー>岡本純一助手

岡本純一助手(共通絵画研究室)インタビュー
聞き手:伊藤誠教授(本学彫刻学科)

・最近はどのような活動をされていますか?

:僕は助手になってからだいぶ作品が変わったと思ってます。彫刻学科から絵画を担当する研究室に入って、見るものが変わった。その結果「彫刻とは何か」っていう疑問が「美術とは何か」に広がっていって。いま、気になっているのは農業、文化、それから生活に密接したもの。器とか料理とか、子育てもそうだけど、そういうものに興味があって、自分に密接したところから何か表現が生まれないかなと思って。そっちのほうが自分のやりたいことに近い、と最近は考えています。 彫刻学科に入って、「彫刻」という言葉にだいぶ惑わされた。今でもあるんですけど。彫刻や美術っていうのはただの言葉だと思うようになって、ものが自由に考えられるようになった。今回の展示では今までとは違うものをつくるんですけど、それは彫刻と言われてもいいし、絵画と言われてもいい。それは僕が決めることじゃなくて、他者が決めることでいいんじゃないかなって思ってます。

・以前といまで違いはありますか?

:ものをつくろうとはしなくなった。昔はやっぱりものをつくったり、ドローイングしてそれを彫刻におこしてみたりとか。何かをつくろうとしてたんだけど、いまは「何がやりたいのか」っていうことを、作品ではなくて、目に見えるかたちにすることで、何になるか。そのときの自分の考え方とか環境とか場所に左右されてくると思うんですけど。

・素材も全然違うものを選ばれますよね。その場で何が表現したいかによってそのあたりは考えるんですか?

:はい。そういうことを考えながらやってるところで、すごく彫刻的なジレンマみたいなものはある。彫刻にならないようにしてる。いまはあんまり考えないようになったんですけど、彫刻っていう言葉の強さというか。わざと自分で排除していかないと、ものとかかたちになってきてしまう。それをとりあえずやめようとはしてます。そのあたりを話し始めるとわからなくなるけど、僕の中では、やっぱりかたちにおこすことが彫刻だと思ってます。

・彫刻学科に入って、彫刻という言葉や取り巻くことから離れようとする動機は何だったんですか?

:思い切った言葉で言うと、自分で作ったものが全然面白くなくて、大事じゃないんですよね。いままでの作品とか。いまもそうかもしれないんですけど、できあがったものを僕はそんなに愛していなくて、ほとんど残っていないと言えば残っていない。つくりあげて、置いとけば元に戻っていくようなものが一番いい。それで、見た人の心かどこかに残っていけばいいなあっていうのはあります。土に還したいですね。

・それはいわゆるエコな発想っていうわけではないんですよね。

:エコにもすごく興味はあるんですけど(笑)。 「民藝論」っていう柳宗悦の考え方が僕の根っこにあって、僕の解釈としては「人間がつくりあげることができる自然の極致」なんですけど。無名の人が、用途に純粋につくっていく。作家性もなく、ただ健やかに用途のみ。つくっている人も「これがかっこいい」とか「こういうふうにつくってやろう」という意識もなく、分業だったからどんどん流れていって、できあがったものがひとつの民藝品になるんですけど。それ、すごく自然だと思って。僕はそれが一番美しいものだと思っている。 自然を考えたときに、地球上にはもしかすると人間が関わっていない場所はないんじゃないかっていう考えも根底にあります。大気汚染であったり、海水の温度上昇であったり。そういうことを考えていくと、本当の意味での自然っていうのはもう存在していなくて、「自然の極致」である民藝が、自然を感じられる最後であると最近思っていますね。

・民藝論に出会ったのは?

:3年生くらいの時ですね。同時に器をつくってました。窯工部で。器はいまでも好きです。民藝といわれるものは集めています。付け加えて言うと、民藝の作家たち、例えば濱田庄司とか河井寛次郎とか、そういう人たちの作品は僕にとっては民藝とは言いません。民藝を頭で解釈してできあがってくるっていうことと、庶民が使うものではないっていうこと。全然民藝とはかけ離れている。

・岡本さんは民藝品、民具を作るに至るのではなくて、やはり表現されたものをつくっているんですね。

:今挑戦してる最中です(笑)。できてません。民藝が「到達し得る自然の極致」だとすると、それを意識したらもうつくれないんですよね。そこには到底到達できないというか。濱田庄司たちが違った方向性になっていったように、僕もそれをつくろうとしたらつくれない。どうしたらいいかなってずっと考えてるんですけど、でもそれに挑戦し続ける気がします。

・実際に民藝品や民具をつくろうとは思われますか?

:つくりたいとは思う。でも民藝品には到達できないってわかってるので、つりたいけどつくらない。つくってみたいけど。使えるものを。でも、僕がつくろうとしているものは、何か用途があると考えてる。それを、美術と言われている枠組みの中でやろうとしていて、それが見る人にとって意味があるものであれば、民具をつくることと近いのかもしれない。

・伊藤先生、岡本さんが彫刻学科に所属されていたときは、どのような感じでしたか?

:彫刻学科はものを残します。余計なものをつくるわけです。岡本くんにとても共感を覚えるのは、余計なものをつくりたくない、ということですよね。たぶん、「民藝」で言いたかったのはそのあたりのことだと思う。芸術っぽいことはやめるって。作品の表れ方っていろいろだと思うんですよ。たぶん、岡本くんが彫刻について疑問を持ったのは「かたち」が作品であるというふうに勘違いしているところがあったんですね。だけど彫刻っていうのは、必ずしも「かたち」そのものが作品ではないわけで、その表れ方っていうのもいろいろあると思うんですよね。岡本くんの初期の作品と、ある時期からの作品には区別がある。岡本くんはまず最初に、つくる動機がある。自分と世界とのつながりみたいなもの。紙飛行機が落ちて誰かが「あっ」と言ったときに訳のわからない衝撃を受けた、みたいな話をしてたときがあった。あと、鯉が口を開けた部分とか。初期の頃はそれをそのままかたちにしてたんですよ。「かたちがそのまま作品である」って思ってて、でも、恐らくできたものというのはまったく別次元になると思うんですね。その別次元になったものをいかにして作品ぽくするかっていうところで苦労したのが学部の時代なのかな、と。彫刻って、ものを加工するところからできてる部分があるので、ものと格闘して、かたちが作品だと思い込んでると、最初の動機とはまったく別のものをつくっているっていうジレンマに陥ると思うんですよ。彫刻という環境を離れた場合、いろんな材料を使ったりしますよね。それで、例えば制御のできないものが入ってきて、それに対して自分の視線をそちらに向けた時に、その制御のできないものの中で「作品である」部分を見出そうとすると思うんですよね。そのあたりから変わってきたんじゃないかな、と思います。「かたち=作品」というのは、質量とか物量とかはそのまま作品に結びつくんだけれども、そうではなくて「眼差し」で作品をつくり出そうとしたときに、もっと広がりが出ると思うんですね。アルスギャラリーだったかな(注)、いろんなスケールの感じ方が入ってきてる。最初は「何か面白いかたちだな」とか思ったりするんだけど、それぞれのものに付いていく眼差しがそれぞれの時間を持ってるし、別のスケールとか空間も持っているわけで、そういうところから別のものが表れてきたのかな、という感じはしました。徐々に変わっていくんだなと。


(注)グループ展『shows』(1999年、ars gallery)


interviewer
高橋奈保子(視覚伝達デザイン学科研究室助手)
黒澤誠人(美術資料図書館)