出品者インタビュー>大野晃義助手

大野晃義助手(空間演出デザイン学科研究室)
小池一子氏(本学名誉教授)

・佐賀町エキジビット・スペースについて

:私がまだ、京都で大学卒業後の進路を考えている時に、佐賀町エキジビット・スペースのことを本を通して知りました。そのときの衝撃は今でも忘れないですね。それから色々調べていたら、武蔵美の小池一子先生が主催されていたと知り武蔵美の大学院を受けることを決めました。 私が空デの大学院に入ってテーマにしていたのが、「サイトスペシフィックとアート」です。今ではサイトスペシフィックという言葉はよく聞かれますが、先生はなぜあの時代に佐賀町エキジビット・スペースをやろうと思われたのですか?
:演劇を専攻していた学生当時から、大きなアートの流れの中で仕事がしたいと感じていました。けれど、日本の美術館には何か魅力を感じていませんでしたね。それよりも今この時に生まれているもの、新しいデザインなどに興味がありました。 ヴィジュアルコミュニケーションの分野に惹かれたことがきっかけで、あるデザイナーの下で働くことになるんですね。そこでコピーライティングの仕事をしながらもアートへの興味は持ち続けていました。そんな時、海外の美術館との仕事をする折りにキュレーターという職業に出会いました。
キュレーターという職業自体が、日本では知られていませんでしたね。美術館の学芸員という職種はありましたけど。すぐに私はキュレーターの仕事を独学で身につけようとしました。
その中で、今この時に生み出されているアートに関わるとき、それらをどこで観ることができるのかという問題に突き当たりました。現代のアートを観る場がなかったんですね。
美術大学を卒業した人たちが展覧会をどこでするかといえば、小さな画廊を作家本人がお金を出して借りているような状態でした。こういった状況を海外で目にすることはなくて、日本の恥だと私は感じていました。当時、日本の美術館には新しいアーティストを迎える場は一切なかったですよ。
私は新しいアーティストとの新しい仕事に徹することに決めたのね。そこで、自分の場を持つ必要があったのです。
サイトスペシフィックというテーマのもとに、現代の美術にふさわしい場を選ぶときに、比較的に成功しているケースは長い時間を蓄積してきた古い建物の場合が多いんですよね。その建物なり場が、時間と共に存在していて、それを実際に感じることができる空間。そういった場を見つけられるだけで、そのアーティストには目があると思えるくらいですよ。
いわゆるロフト的空間というのかな。日本には全然なかったんだけど、必死になって探した結果、食糧ビル(1927年竣工)を見つけるんですね。こうして自分の場を持ったわけですけど、贅沢に新築空間で活動している人からは「かわいそうに」と言われましたけど。だからこそ戦いがいがありますよね。
:そんな場が意味を持つ空間(佐賀町)で展覧会をする上で一番気遣っていたことはなんですか?また、私の気になるアーティストを見るといつも経歴に佐賀町の名前がありました。たとえば杉本博司さん・内藤礼さんなど、先生はどのようにしてアーティストを見抜いているのですか?
:佐賀町エキジビット・スペースを始めるにあたって、私は、これから活躍すると私が信じるアーティストのファーストショーを行うこと、そして彼らにはじっくりと腰を据えてやってもらうことをテーマとして掲げました。活躍するアーティストを見抜くにはということだけど、すばらしいと思うアーティストが、何を初めに考えて仕事をしているのかを見つめることじゃないですか。

:当初から、日本の中だけのことではない場所だということを表現したかったので、インフォメーションはすべてバイリンガルで出していました。そうしていたとき、国際交流基金などを窓口としている海外の美術館の館長やキュレーターが「佐賀町に行きたい」と問い合わせてくるようになった。最初は担当の職員の間で「佐賀町に何があるんだ?」って驚かれていたみたいですよ。そのうちに担当の職員さんたちも「今度は○○の美術館の方が行きます」と取り次いでくれるようになりましたね。
内藤礼の展覧会をしている時に、お忍びでアンゼルム・キーファーが訪ねてきたのね。彼が「僕もここで展示がしたい」って言うのよ。私は彼に「エマージング・アーティストしかやっていない場所なのにどうして」と尋ねたら、彼は「自分もかつてはエマージング・アーティストだった。この空間がとても気に入ったから、昔のエマージング・アーティストが仲間に入ってもいいでしょう」と言ったの。その出会いから展覧会が決まったというエピソードもありましたね。
展示プランについて打ち合わせるとき、作品がどのように空間に収まるのかということを、私はアーティストに模型で提示してもらいました。その模型が素敵だったものは今でも残してあります。模型は、アーティストがこの空間をどのように感じているか、作品をどう捉えているかを知る素敵な例でしたね。
アンゼルム・キーファーの時もそうだったのだけど、彼が壁にサッと描いたりすると、もうその壁は取っておきたい気分になりましたね。あれは「革命の女たち」というタイトルでしたけど、シャルロット・コルデーのベッドに彼が「シャルロット」と描く関係性が作品にとって重要なわけですよね。彼の視点であるとか、ベッドの高さであるとか、アーティストが空間においてものを作るということは1分も疎かにできない感じですね。

・修了制作について

:私は小池先生に影響を受け、佐賀町のようなアートスペースを作りたいといつも考えていました。 するとニュースで築地市場が移転するという情報知り、築地市場にオルタナティヴスペースを作るという企画を大学院の修了制作にしました。築地に通いリーサーチしたりして、大学院2年の夏は築地市場に通ってましたね。ついでにおいしい物が食べれますし。
:私がテーマにしていることを大野さんがちゃんとやってくれていたので、評判も良かったですね。 古い場所をどのように使うかという事例として、築地市場での仮想展覧会を企画したのね。 研究のタイトルが良かったよね。アートの鮮度とはなにか、築地市場だから鮮度ね。 こういった時に、再現がつまらないリアリティに陥ることがあるけど、象徴的にできていましたね。
大野さんがテーマに掲げたオルタナティヴスペースというのは、私が佐賀町を始めたときには美術館でもギャラリーでもない美術の現場と言っていました。国立美術館や企業の美術館に関わっていながら自分の場を持ったというのは、美術館やギャラリーに対して完全に反旗を翻していましたね。正式な社員ではなかったからいいんですけどね(笑)それは、一つの意志を持って始めました。
:築地市場の問題は未だに進展していませんね。
:築地はあのままで置いておいてほしいわね。 その場がすばらしくても永久に持続することはなかなか難しいから、消えていく場所があっても仕方のないことではあるけど、消えていくことを分かりつつ、受け継いでいけることもアーティストとキュレーターの仕事だと思いますね。

・当時の大野助手について

:ただ熱心に机に向かっているような人ではないからね。顔を合わせるのは大体が夕方からで、こういうものが食べたいとか飲みたいとかで一緒に行動していましたね。その極めつけがヴェニスまで付いてきちゃったという(笑)
:ヴェニスでもどこの肉屋が美味しいって、小一時間探しまわりましたね(笑)
:そうそう。けれど、優れたアーティストもデザイナーも食べることが大事ですよね。みなさん料理が上手ですし。 大野さんに助けられているところは、料理をお願いできることで(笑)彼は立派なシェフですよ。
:料理ができなかったら、小池先生とこんなにお話をさせてもらえる機会もなかったと思います。ある意味、大学院での一番の収穫は料理ですね(笑)


・「OCC」について

:リニューアル展の運営委員の立場として伺いたいのですが、私たちが展覧会を行う美術資料図書館で以前に「OCC」(※「衣服の領域−On Conceptual Clothing 概念としての衣服−」2004)という展覧会をされましたね。OCCはいかがでしたか?どのように作られたのですか?
:武蔵美の空間演出デザイン学科にファッションの領域を開くことを引き受けたときに、ファッション・ビジネスという側面を強調するのではなく、ファッションデザインをどのように作っていくか、考えることのできるデザイナーに育ってほしいという構想を抱きました。プログラムの中で、ファッションのためのドローイングやスタイリングを教えることもできたけれど、何を考えていくかということをずっと強調してきましたね。
退任に際しての展覧会ということで、私が今までに触発されてきたアーティストや、ファッションについて考える機会となるだろうアーティストをキュレーションしたんですね。
その会場として使うことができるのは、美術資料図書館の彫刻陳列室でした。けれど、通常は石膏像が置かれているでしょう。それらを引き払って、あの空間を新しいもので満たしたいというのが最大の欲望でしたね。
「OCC」のオープンまでには3つの段階があったのですが、最初がその石膏像たちの倉庫行きですね。一度休んでいただくというか。次に、この空間が生まれ変わりますというアナウンスですね。展覧会予告の巨大な幕を彫刻陳列室に掛けました。その幕の後ろで改装の準備をすべて行ったんですね。その幕自体を作ることも感動的でした。夏休みに、私のゼミの学生たちがミシンを踏んで、キルティングで文字を出して、1つ1つ作っていって、こんなことは学校でなければできないという素敵な時間でしたね。最後が、その幕を下ろしての、広大な空間と作品展示、そしてオープンでした。

・「リニューアル展」について

:現在の大理石の神殿のような部分から西側は後から増築されたもので、美術資料図書館の竣工時は、西側も正面入り口のガラス張りと同じガラス張りのファサードだったそうですね。当時、図書館の周りには何も無くて、西側に続く田園風景がガラス越しに建物の中から見えたらしい。
展覧会の準備をしながら、私は当時の風景に思いを馳せていました。増築にはそれなりの理由があるのでしょうけど、オリジナルのデザインはすばらしかったと思いますね。
展覧会をする上では、その場所がどのような段階を経て現在の形に至るかということまで考えた方がいいと思いますね。「OCC」の時も、今では死角となっている場所をできる限り使いたいと思って、スタジオやエレベーターを展示空間として設定しました。
展示空間を探しているとき、ある場から啓示を受けるというようなことがあるんですね。こちらに向かってウインクするというか。それに対して耳を傾けたり、その場にとどまることがない作家は、展覧会に参加をする資格はないと思いますよ。場というものは、それほどに重要なものですね。
43人の出品者の方たちの表現が楽しみですね。色々な発見があるんだと思います。
改修前の最後のショーというのもすばらしいことよね。言い換えれば、何をやったっていいのよ。
そういった機会にはなかなか立ち会うことはできない。アーティストの生活の中でも非常に貴重な時だと思いますね。



interviewer
高橋奈保子(視覚伝達デザイン学科研究室助手)
黒澤誠人(美術資料図書館)