川辺史子助手(空間演出デザイン学科研究室)インタビュー
聞き手:小竹信節教授(空間演出デザイン学科)
・卒業制作の時のテーマについて、川辺さん自身はどう捉えていますか?
川:あやうい感じ…がテーマだったかな。
小:そうだと思うよ。ボーダーの行き来。
川:そうですね。ずっとそのボーダーを追いかけていて。目の錯覚が好きなんですけど、立体と平面の境がずっとテーマになってる。何でそこを追うのかはわからないんですけど、そこに現象があったりするんですよ。そのあやうい現象に惹かれます。見えるか見えないか、とか、立体なのか平面なのか、とか。
小:いくつかの世界を認めた上での表現のミクスチャーじゃなくて、この人の場合は秋田も否定して、東京も否定して、要するにそういう時期なんだと思うんだよ。そういう感情があそこに行き着いて。そうじゃなかったらもうちょっとクリアに扱える素材ではあるの。だから鍵閉めて一人で踊ってる、ていうのが唯一のアイデンティティで。逆に、そこで起きてることが、彼女が手に入れたことの中で一番大きいんだと思うよ。決して上手い踊りとは言えないんだけど。
川:すいません(笑)。
小:そういう解釈してたけど、実はそうじゃなかった。実は、その彷徨い方が、今の希薄さとかじゃなくて、とっても個人的なこと。そのほうがずっと楽に解釈できる作品。いまだにそうなの。だから、この人はずっとものを作っていくのか、分かれていくのかわからないけれども、ものと向き合っていくならそれが生きると思うんだよね。
川:でもずっと葛藤してますね。
小:基本的に生きていく上の葛藤って誰もが持つじゃん。その葛藤の潜在的な部分。例えば、僕は生まれたときに20円握って生まれてきて、20円どうやって増やそうかって思うんだけど、この人は100円握って生まれてきた、みたいなものなんだよ。絶対に。生まれたときから借金してた、みたいな人もいるから、そういう意味ではラッキーなんだよ。でもお金を使うお店がない(笑)。
川:1軒1軒がすごい遠い、みたいな(笑)。
小:給料お米でもらったほうがいいや、っていう。だって使う場所がないんだもん。あと貯金するか。
川:貯金型ですね。貯えないと生きていけなかったりする。
小:僕は芝居やってるじゃない。芝居で一番大事な部分って、観客より数倍ものを見ていないとだめだっていうことだと思ってるの。そうじゃないと人の人生なんて描けるわけがない。だから、必要以上にものを見ちゃう。地獄だけ描いてたんじゃ世界なんて語れないよ。この人の弱点はそこで、地獄しか語らないで世界語ろうとする部分。
川:そんなことはないですよ。際どいけど。
小:だから、どこかにジャンプはしにくいかもしれないね。
・川辺さん、専攻は舞台美術なんですよね。最近の活動ではギャラリースペースでの展示を行っていらっしゃいますけど、それは別にこだわりなく、という感じですか?
川:ダンスというか、「演劇」ていう舞台ではなかったので、何て言うか…。
小:僕はそれはすごく健全だと思ってるの。学校で発表するのに、どうやって劇場を設定するか、とか、舞台の模型を提出しても、僕はあんまり意味がないと思っててね。結局、出力の問題じゃない?劇場だったらこう表現するけど、図書館だったら図書館にあったものをやる。それが大事。舞台って、照明作って装置作って衣装作って、すべての総体じゃない。そこから小道具だけ引っ張り出して展示する、みたいな。この人の考えにはそれが根底にあると思う。そうじゃなかったら舞台模型作ってるはずなんだよ。
川:イメージなんですけど、演劇よりダンスのほうが自分の発想を広げられるんですよ。フィジカルなものも入れつつ、あるシーンはこれじゃなきゃダメ、っていうこともなくて、その中で人が踊ったらどうかとか、部分を取り出したり。
・今回の展示も、塩ビの中で人が踊りますよね。
小:それ見てない、今作ってるやつ?うまくいくの?
川:わからない。今やってる、必死で(笑)。どこかにやっぱり人、動くものを入れたくて。ひとつピタッと止まったもの、プラス、どこか動いてるっていうのが欲しいんですよ。人の身体がすごく好きだから取り込みたいんですけど、今回はずーっと回ってる映像を撮りたいなと。
・またご自身が踊るんですか?
川:今回は頼みました。撮るほうに回らないと。
小:でも、踊りたくないの?
川:うーん、あれ大変なんですよ。踊って、脚立上って、戻って、って。
小:その説明は「東北弁とフランス語は近い」って言うのと同じなんだよ。
川:わかってますけど(笑)、体力的な説明をしてるんです。でも去年はひとりで作ってたな、また。
小:ダンスってストレスの多い世界だと思うのね。クラシックバレエなんか、身体のああいう動きの中でエピソード語るのって難しいじゃない。だから手話がいっぱいあったんだよ。手話でなるべく説明して、「しゃべればいいじゃん!」って思うでしょ。ピナ・バウシュとか、ダンスの殻を破ってくれた人は平気でしゃべるの。ダンスのメソッドってその一線を越えられなくてね。それはコンテンポラリーでも引き継いじゃって。構成主義のバレエもそうだけど、人間のフィジカルな部分って、それで語れないじゃない。とっても大きな感情を表現して、あとは見てる人間に委ねちゃう。そういう世界にずっとこの人はいたから、「ものに託す」ていうのが抽象化されちゃってると思う。
川:うん、そうですね。
小:だからこの人はまともな演劇は向いてないかもしれない。
川:そう、しゃべることにどこかで抵抗があるんだと思うんですよ。あるっていうより、言葉よりも、もっと身体で表現できるんじゃないかって。
小:一切を網羅した言語のために僕たちは辞書を見たり知らない言葉を調べたりとか。結局、言葉以外あり得ない。フィジカルもあり得ない。なかなかものって通じないでしょ。舞台美術で僕自身も一番葛藤する。例えばコップがあって、そのコップはこういうコップでこういう形でって何千字をかけて説明しても、見た人間は「どんなコップなんだろう」て朧気には出てくるけど、「コップだよ」て言われた途端、ものの力ってそこではとても強い。その両方がどこで行き交うかっていうことを常に抱えるんだよね。ダンスはすでにその一手もなくて、ストレスからはじまる。
川:ふさがれた感じ。
小:でもこの人を見てると日常の延長にいるから、とってもわかりやすい。僕はわりと人をサンプルとして見ちゃうところがあって、この人があの物語に出てきたらどうなんだろう、とかね。摺り合わせるの。それがいいかどうか何とも言えないけど、そういう意味でこの人はとても面白いサンプル。
川:それいいのかな(笑)。
interviewer
高橋奈保子(視覚伝達デザイン学科研究室助手)
黒澤誠人(美術資料図書館)