長谷川佐知子助手(彫刻学科研究室)インタビュー
聞き手:山本佑人氏(ヒノギャラリー)
・ずっと「石」という素材を選んでいらっしゃるんですか?
長:そうですね、大学のときは基礎課程とかでいろいろとやっているんですけど、一番はじめに石をやったときに全く彫れなかったんです。「こんなに自分の思い通りにならないものってあるんだ!」って。それにこだわり続けて今もやってる、っていう部分が大きいですね。
・「思い通りにならない」のはかたち、ですか?
長:すべてですね。形も時間も精神的な面も。例えばこれぐらいの高さがあとちょっと欲しい!と思っても量が足りなかったりとか。自分の意図とは全然違うものが出てくるんです。ぱっと完成させたいけどできない。本当は時間をかけない方が自分の思ってることを表せるのかもしれないけど、思い通りにさせてくれない。
・それは機械で彫った場合も手で彫った場合も同じでしょうか。
長:うーん、一緒かもしれないですね。でもやっぱり機械でつくると機械のかたちにはなってしまいますね。
・実は、先日インタビューした工デの助手さん、共通彫塑の助手さんにも素材を決定した理由を伺ったんですけど、その理由は「思い通りにならなかったから」だったんです。ちょっと今びっくりしました。
長:えー!そうなんですか。やっぱりこだわっちゃうところなのかもしれないですね。すっとうまくいってしまうと、結局飽きてしまう、というか。みんな飽き性なのかもしれないですね(笑)。
やっぱり彫刻はものが「見て面白いかどうか」なので、こうやって作品についてしゃべるのは苦手ですね。見て、ダメなものはやっぱりダメだし、費やした時間と労力には比例しないですからね。とは言っても素材にはある程度の時間は必要だし、毎日の積み重ねの勘みたいなものがさぼると、すとーんとマイナスまで落ちるように思います。私にとっては作品づくりは平凡なことの積み重ねです。
・その「いい」「悪い」の評価は、自分が持っているものと、例えばギャラリーの方が持っているものって…。
長:そのあたりは私も聞きたいですね(笑)。
山:うーん。長谷川さんの作品について、完成されてるとは思ってないんです。今はその前の段階なんでしょうけど、それでも惹き付けられる部分があるんですよ。作品自体が持ってる雰囲気というか。空気を持ってるんですよね。もちろん他にもたくさん彫刻作品をつくってる人はいますけど、その空気を感じられる人はごくわずか。僕の感覚でしかないですけど。なおかつ、長谷川さんの作品は、表面がものすごく平面的な、絵画を見ているような感じがするんですね。
長:「はつり」っていって、表面を削っていくと鑿跡が残っていくんです。行為と出てくる物のズレを追っていくというか、それが全てでは無いですが。ドローイングと一緒ですね。
山:それが僕には新鮮なんですよ。ブラッシュストロークみたいな、筆跡の感じですね。そういう動きを感じたりすることが面白いなと思いました。
・今伺った、山本さんが感じている魅力、長谷川さん、聞いてみていかがですか?
長:(笑)見に来ても作品について何も言ってくれないのが一番怖くて。
山:語らないです(笑)。
長:すごい怖いんですよ。見に来て、ただ「うん、うん」て。それがまたいいプレッシャーになっていくんだろうなって。
山:作品は作家本人の衝動から生まれるものであって、そこに第三者の手が入るっていうのは、あんまりよくないなと思って。作家本人が見て、聞いて、やるのはいいんですけど、第三者が「これは違うだろう!」とか言うのはおかしい。でもあんまりひどい時は、「ちょっと…」とか。
長:こわいな、それ。
・(笑)長谷川さんご自身が「良し」とするところはどのあたりですか?
長:長:自分の言いたい事が、作品がどんな状態であろうとも表現として表れてきてくれれば「いい作品」。でも今までほとんど自分で「いい作品」と思えるものがつくれてないので、まだ続けてる、っていうところがありますね。
・これがやりたいっていうのはその時々で違いますか?
長:例えばいまつくってる作品で、ここがうまくいかなかい、もうちょっとこうしたい、っていうことがどんどん出てくるんですよね。それが次の時にまた変換されて次の作品に繋がっていく。それのくり返しですね、ずっと。終わりがないっていうか。常に「ダメだ、ダメだ」って言いながらやってますよ。テンション低く。
山:たぶん作家さんて2タイプしかなくて、自分の作品に満足できないから次の作品を作る方と、「完璧」という方。この両極端ですね。
長:言ってみたいですねー。「最高!」って(笑)。
山:いやたぶん言えないタイプでしょ(笑)。
interviewer
高橋奈保子(視覚伝達デザイン学科研究室助手)
黒澤誠人(美術資料図書館)